「わかる」とはどういうことか?
このことを、もう一度、原点に返って考えみたい。
先日、札幌の中高一貫校に通っている女の生徒さんの数学の指導を行った。彼女は、現在高1(中高一貫校では4年生というらしい)で、公立校とは違い、学校の授業の進度はかなり早く高2の内容をすでに学習している。高2で学習する内容は、新たに入れる知識も多く大変だ。
本人がどうしても解けない問題があり、問題文をチェックし問題を解くポイントを確認しながら問題を解いていった。
その後、私は彼女に次のような尋ねた。「どうわかった?」
それに対して彼女は、「うーん…???」と答えた。
彼女の表情を見て、「これはマズイことを言ってしまった」と私は思った。「わかる?」これは教える側が使ってはいけない言葉なのだ。
人に何かを言われて「わかる」とは、実に難しいことだと思う。
「わかる」とは自分のフィルター、つまり、自分の知識や経験をもとにして「わかった」だけで、本当に相手の言っていることを理解したとは言えないのだと思う。
さらに、生徒は「わかる?」と尋ねられることで、「わかる」ことを強制されていると感じることがあるのだ。
ここでは、「わかる?」と尋ねるのではなく、生徒の頭の中を探りながら、ひとつひとつのことを再度確認することが必要なのだ。
私は常日頃から、問題を解いた後に必ず「振り返る」ということの大切さを説いている。
つまり、求めるものは何か?与えられている条件は何か?求めるものに必要な条件はそろっているか?その条件をどのように利用するか?…こうした段階をふむことで、理解が深まっていくからだ。
「わかる」とは「できる」ことに通じなければならない。だから「わかる」とは、生徒がそれを自分の言葉で説明し、自分の力で解けるようになって初めて完結することなのだ。
「わかる」ことを焦ってはいけない。
私はよく人から方向音痴と言われることがる。
知らない土地で、道によく迷う。
それは、自分の来た道を振り返らずにいるからだと…。
勉強もこれと同じだと思う。
「道に迷わずに元にいた場所に戻る」=「自力で問題が解ける」ためには、「自分で歩いてきた道」=「解答へ至る道筋」をもう一度「振り返る」ことが大切なのだ。
高校生の夏休みもあと1週間足らずとなった。
受験生にとっては、あっという間の夏休みだったと思う。
ここで焦らず、最低限やるべきことを決めて残された時間を過ごしてほしいと思う。
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sextelefon (金曜日, 03 11月 2017 23:43)
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